9月27日
いつ頃からであろうか、私は祖父に対する接し方が変わっていたように思う。『ハダカ』の彼を
見ようとしながら、彼の命ばかりを見ていたような気がする。呼吸の乱れ、意識の混濁、まれに
見られる力強いしゃべり方。どれをとっても祖父であるのに、その一部一部に気がちって全体が
なかなか見えない。
「ええか、初めて見る道具の時はまず、『調子』を見ぃ。『調子』のええ道具は大概ええもんじ
ゃ。」 祖父が私に教えてくれた言葉である。
9月27日、午後10時35分、永眠。祖父は長い眠りについた。最後の顔は本当に穏やかで、
綺麗なものであった。
祖父が亡くなって、私は新たな祖父に今、毎日出会っているような気がしている。祖父が手に
入れたもの。そして残してくれたもの。祖父が教えてくれたこと。そういった祖父に対する私の記
憶や遺品、それらすべての過去が、わたしにとって新しい祖父として現われてきた。
これは非常に、やっかいである。祖父に対する私からの畏敬の念はさらに増し、感謝の気持
ちが溢れるとともに、決して越える事の出来ない大きな山として私の前に座するのである。
「焦らず、真っ直ぐに、精進しなさい。己を信じなさい。他人に知恵を分けてもらいなさい。」
新しい祖父はいつも私にそのように教えてくれる。
ありがとうございました
by harakobijyutu | 2008-10-16 15:12