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建設ラッシュ


 いま、私の店の姉妹店、スペース甦謳る(soul)において、東海道五十三次の展示即売会をしている。広重の描いた東海道は1830年代であり、今から約170年ほど昔の景色である。無論今のように電線もなければビルやマンションもない。広がる景色の向こうに富士山がそびえている。中にはいまでも田舎のほうへ足を延ばせば、ないことは無いかもしれないような小屋なんかもある。

 それにしてもここ最近のマンション建設の凄まじいこと。この福山でもここ2,3年の間に非常に多くのマンションが建設された。こんなに速いスピードで景色が変わることは今まであったのだろうか?いまもうちの近所だけで、4.5件建設が進められている。その内の1件を見るたびに、私は一つのことを思い出す。
 何年か前、私は社長と一緒にあるお客の家へ招かれた。亡くなったご主人が大層な骨董好きで、沢山の骨董品を収集されていたのだ。招かれた家は正直どこにでもある感じの一軒家で、本当にこんな家に良い古美術品があるのかと疑ったのを覚えている。
 「まあまあ、おひさしぶりです。どうぞなかへ。」
 奥さんが玄関口から中へと案内をしてくれた。

 どう、表現すればよいのだろうか?簡単に言うなら壷中天、この一言に尽きる。表からはなんてことない、モルタル造りの一軒家だったのだが、中に入るともう一軒、数寄屋建築の家があったのだ。庭は重森三鈴。ただただ驚いてしまった。よく数寄者には変わった人が多くて、人に自分の物を見せたがらない人もいると聞いていたがここまで徹底している人も居るものなのだと、
本当に感心した。三鈴の庭には日が少し差し込み、何とも言えなく美しい。最後に奥さんからお茶を振る舞って頂き、庭を見ながら飲んだ事を思い出す。

 そんな素晴らしい空間の南に大きなマンションが建つ。おそらくもう、あの三鈴の庭には日が差し込まないのではなかろうか?いつもそのあたりを通る度に、私は考えてしまうのだ。もう一度、機会があればお邪魔したいお家である。
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by harakobijyutu | 2008-02-23 17:33

俑 2

 
 初めて目にした上海はそれはそれは大きく、人々は元気で力強い、そんな印象を私に与えた。
 さて、私はとりあえず観光に出かけることに。目指すは預園。この預園は上海では大変有名な建物で、中でも庭園が見事であるらしい。しかも近所には有名な小龍包の店もある。ここまで聞くと是非ともチェックしておこうと思うのが人情ではなかろうか?
 初めての町ではすぐに地図を買い、歩く。これが私のスタイルである。地図によると、ここ浦東のホテルから預園まで、まあせいぜい徒歩1時間くらいだろうと、勝手な計算をして歩き始めた。
、、、、、、結果、遠い。更に迷う。しかしここで付け加えるなら、これは私にとっていつものことなので、余り辛くはない。しかしなんといっても距離は大幅に目算がくるっていた。角から角までが非常に長い。まったく日本と比較にならない。これには少々参ってしまった。

 そんなこんなでたどり着いた預園はガイドブックのふれ込み通り、非常に素晴らしいものでありました。見学し終わり外へ出ると、土産物が所狭しと並んでいた。看板を見ていくと中にあるある、骨董屋。大きなショッピングモールのような建物の地下に、骨董街が存在していた。
 
 こうなると俄然元気が出てくる。自分でもたまに『これは完全に病気だな』と思うことがあるが、この時もまたそんなことを考えた。しかし嬉しさを抑える事は出来ず、早速中へ入り、一軒一軒見て歩くことにした。
 まだ骨董の知識が余りなかった頃でもあり、とにかく気に入ったものでもあれば幸いと覗いて歩く。すると一軒、明らかにコピーと思われる俑をズラッと並べた店があった。私は何か面白い俑はないかと眺めていると、店の主人が
 「君は俑が好きなのか?」
と、尋ねてきた。私は
 「いやなに、ちょっと面白いものがないかと思ってね。」
なんて具合に流してると、主人が
 「奥にもあるぞ。」
と言って、奥へ案内してくれた。するとそこにあったのは明らかに発掘の俑、時代は唐の物が
トイレットペーパーの上に寝かされて大量に置いてあった。私はびっくりして、
 「ご主人、これはいくらですか?」
と尋ねると、これこれこうだと値段を教えてくれた。
 私は更に驚いた。というのも表のショウウインドウに飾ってあるコピーの方が遙かに高いのだ。しかも安い。日本では考えられない値段である。私は官女と武人、この二つを頂くことにした。
買うと言った後で主人に、
 「私はあまりよくわからないけれど、こちらはオリジナルで表の商品はコピーのように思うんですが、なんでこちらの方が安いのですか?」
と聞くと、
 「よく分ったね。そうだよ、こっちが本物さ。だけど最近の人は奇麗な方が好きなんだ。こんな泥だらけで、あっちこっち直してあるものより、よっぽどものが好い、と言うんだよ。俺には傷もんでもこっちの方がいいと思うがね。」
主人は少し寂しそうに、そう打ち明けてくれた。なるほど、時代か。そんなことを思いながら店を後にした。

 あれから一年後、日本に帰り私の社長に見せてみると、
「こりゃあ、傷が多いから高いことは言えんぞ。」
 といわれ、しかし
「ものは間違いない。」
 と教えられた。
 私は嬉しい反面、この事実を聞いて、あの時の主人の顔が浮かんできてなんとも言えない気持になった。

 本物より、コピーのほうが高い。そんなことがあの場所では起こっていたのだ。

 
 ちなみに上海を後にした私は、長沙あたりで体調を崩し、急ぎ飛行機で昆明まで帰りました。
結果、6日間の旅でした。
 また上海へ行くとこがあれば是非また寄ってみたいものだ。あの店はまだあるのだろうか? 
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by harakobijyutu | 2008-02-15 13:44

俑 1


 もう何年も前の話だ。中国へ長いこと留学をしていた。正月とか盆には日本へ帰るように決めていた私は、その年も、盆に日本へ帰っていた。帰ってから考えることといえば、今度はどうやって、昆明(私が住んでいた中国の都市)へ帰ろうか?という算段ばかりである。というのも、日本へ帰る時はいつもなるべく速く帰りたい、という欲望に駆られいつも飛行機を使って数時間で帰ってしまう。それに比べて何故か中国へ出向くときにはのんびり中国を周って、昆明へ到着しよう、という欲望に駆られるのだ。

 そんなこんなで今回選んだルートは、

 蘇州号(国際フェリー) 大阪→上海 約2日間 
 
 列車            上海→蘇州 約1時間
 
 列車            蘇州→長沙 時間?

 列車            長沙→貴陽 時間?

 列車            貴陽→昆明 時間?

 こんな感じ。時間的には最長二週間くらいにしようと決定。一体どうなるのだろう?と思いながら、家を後にした。

 蘇州号。
 この船は特等、一等、二等、雑魚寝、とまあ、こんな感じに分かれていて、僕は雑魚寝が嫌だったので二等にした。一部屋に二段ベットが二つ、計四人が宿泊する形になっている。ベットにはカーテンがあって、完全に一人になることも可能。これは嬉しい。
 ちなみに後で雑魚寝部屋を見に行ったが、一部屋20畳くらいの何もない空間があり、そこへ各々布団を敷いて寝る、といった感じでした。なんというか合宿を思い出す、そんな空間であります。
 ほかにも食道、ラウンジ、大浴場に大広間、と設備がいろいろとあるが、ハッキリ言ってすぐに飽きる。そこで自然発生的にいろいろな人との交流が始まる。私も何人かの旅行者と仲良くなり、その中の一人と一緒に旅を続けることになった。

 上海
 この話の舞台。そう、上海で話は始まる。浦東、というバックパッカーにとっては聖地のようなホテルがあり、そこは一日50元で泊めてくれるという格安。大きな部屋にベットが等間隔に並べてあり、服務員にベットを割り振られる。私は確か奥から二番目のベットだったのを覚えている。
安全面を気にする方もいるかもしれないが、基本的にこういったドミトリー、という形の宿泊場所ではほとんど盗難が起こらない。というのも起こすとこういった形が崩壊するからだ。そうなるとこれ以上安いホテルは上海に存在しなくなり、安い旅をしようと思う者たちにとって、これほどの痛手はないからだ。 
 屋根裏部屋に設けられたドミトリーの部屋には、まぶしいくらいの日差しが差し込み、個人的には非常に気に入ってしまった。                             
                                                  続く
 
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by harakobijyutu | 2008-02-13 11:39