大明末展 ~日本人が愛した美~

 6月の19日(木)~26日(木)まで、計八日間、姉妹店スペース甦謳るにおいて、

大明末展 ~日本人が愛した美~

を開催致します。

 個人的に明末の古陶磁が大好きで、この企画は3年前くらいから考えていました。そのことに触れて、少しここで私の想いを書かせていただきます。

 明(みん)時代というと、余り想像の浮かばない人も多いと思いますが、明はおおよそ600年前から400年前まで、お隣の中国に存在した王朝です。中国の歴史やお話というと、すぐに浮かぶのが『三国志演義』、『西遊記』、『水滸伝』などではないでしょうか?『三国志』は三国時代、『西遊記』は唐の時代のお話で、読んでるだけでその時代の背景が見えてくるような気になる人もいるでしょう。しかし、実はこれらの物語は、全て明時代に書かれたものです。そして、日本に入ってきたのは大体江戸時代と言われています。すなわち我々が慣れ親しんでいる中国の有名なお話は、どれも明時代の人のフィルターを通して伝わっているのです。
 明時代、これを読むのに「メイジダイ」と読む日本人はいません。みんな、「ミンジダイ」と読みます。しかし唐時代を「タンジダイ」と読む人はいません。ここで挙げた「ミン」も「タン」も中国語発音です。にもかかわらず、何故か数ある中国王朝の中で、明のみが漢民族と同じ発音で読まれて来ました。またそのことに対して現代の私たちも、全くの疑問も奇妙な感覚も持っていません。おそらくそれは明の頃の日本、もしくは、つい200年ほど前までの日本人にとって、非常に親しみやすい王朝だったからかもしれません。
 
 少し長くなりましたが、前置きはこの辺にして本題に入ります。

 明の末期、すなわち明末は萬暦帝の崩御以降を言います。萬暦帝の時代、官窯には大量の注文品が入り、日々職人は仕事に追われるようにして様々な陶磁器を作らされていました。その片方で、官窯に役職を置く官僚達の間ではワイロが飛び交い、民窯への受注の丸投げが繰り返され、明時代最大の規模を誇っていた景徳鎮でさえ、職人たちは悲鳴を上げていました。
そんな折、萬暦帝崩御。これにより大量発注はぴたりと止まり、雲の間にぽっかり穴が開いたような静けさがやって来ました。これ以降、明は崩壊へと向かって走り出します。
 しかし、景徳鎮に残された職人たちは前へ進まなくてはいけません。生きていかなくてはいけません。彼らが、そして後ろに控える商人たちが、それまで王朝が利用していた販売ルートを自分達自身で使おうと考えたのは極々当たり前のことでしょう。「これからは皇帝の好みや趣味に左右されることなく、自分たちの思い思いの品が作れる。」これは職人たちにとってこの上ない喜びであったかも知れません。そんな中生まれた物が、古染付、天啓赤絵、南京赤絵、祥瑞。
窯は違いますが、呉須赤や餅花手などです。彼ら自身がお客に受ける物、または作ってみたいものを作りました。その結果、ヨーロッパでは芙蓉手などの大皿、日本では茶人を中心に様々な陶磁器が喜ばれ、国内でも食器として多くの物が流通したのではないでしょうか。

 この明末の陶磁器は、つまり民衆の手によって作られたのです。私はここが好きなのです。
ここまで書いたことは、私個人が考える歴史観が多分に入っていますので、学術的に見て異なる点があるかも知れません。しかし、大まかな所で流れは同じであると考えます。
 民が作り出した美。非常に自由でのびやかで、規制や流れにとらわれない、純粋に売れる物、面白いもの作り出そうとした力。私は当時の日本の茶人達がここに魅かれた様な気がしてなりません。ただ単に、わびやさびだけで愛したのではなく、物の奥に眠る「民の力」に魅了されたのではないでしょうか。

 時は流れ、今世界は21世紀を走っています。日本の政府はこの国を一体どこへ向かわせようとしているのかは私には分りません。しかし、多くの人々や民間の会社が世界へ目を向け、前へ進みつづけています。400年前、お隣の国、中国で作られた陶磁器。これらの物達が、今の時代に対して微笑んでいるような気がしてなりません。

 是非、足を運んで頂いて、明末の「民の力」を感じてください。
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by harakobijyutu | 2008-05-28 23:46

シュバルのお城

 私の好きな人間の一人に水木しげるがいる。もちろん会ったことは無いけれど、いつか会えそうな気がしている。その彼の本の中にシュバルの話が出てきた。

 フランスの片田舎に住んでいた彼は真面目に働く郵便局員で、毎日郵便を配達していた。ある日、配達の最中につまずいた石を堀起こしてみると、これが非常に面白い形をしていた。以来彼は石集めを始め、その後一生を懸けて集めた石で己の求めるお城を築いた。

 これは面白い。しかもこれは事実である。私はその年フランスへ行く予定にしていたので、早速場所を調べてみた。、、、、、、、、結構遠いい。
 しかし、イリ・サラ・ソルジェの近くでもある。私はもともとここへ行くようにしていたので、気軽な感じで寄り道しようと考えた。ちなみにイリ・サラ・ソルジェと言う街は面白い街で、おそらく人口1万人にも満たないような小さな街だが、骨董屋の数は300を超えるというまずもって地球上でここしかないような面白い街である。
 
 アビニョンからイリ・サラ・ソルジェまではバスがあり、難なく来ることができた。問題はここからだ。シュバルの街へはなんと公共の交通機関が存在していない。私は仕方なく一番近い街まで出ているバスに乗り、そこで一泊休み考えることにした。その街にはもうシュバルの城のビラなんかも有って、これならツアーバスみたいなもんが有ってもいいような気もしたがやっぱり無い。しょうがないので最後の手段であるヒッチハイクにでた。猿岩石もやってんだ、私に出来ないことはない。、、、、、、、、、、、、、辛い。
 車社会と言うべきか、大陸のせいなのか、乗せてはくれるんだけどとんでもないとこで下される。ここで本当に次の車が来るのか?そんな疑問が自然に湧いてくるような場所で下してくれる。計6時間、計5回、人々の優しさに支えられて、私は約50キロの道のりを移動し、シュバルの城へたどり着いた。

 とんでもなド田舎にも関わらず、シュバルのお城の周りだけは、日本の第三セクターも顔負けのきっちりした設備ができており、土産物屋や、ガイド情報、レストランなどが集まっていた。
 私は少し複雑な気持ちになった。シュバルが存命の時、街の人々は彼を病気扱いし笑い物にしていた。しかし笑われても気にせず一人作り続けた彼のお城は、今やこの街の大きな観光収入源へと変貌していたからだ。それにしても速く実物が見たい。

 驚いてしまった。これだけ驚いて建造物を見たのは小学生の時に見た金剛力士像以来かもしれない。本当に素晴らしいの一言である。これは本当に残して、巨大な古美術として守り続けてほしい。今回あえて写真は入れません。見たい方は是非行ってあげてください。シュバルが残してくれた素晴らし作品を目にすることが出来ますよ。
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by harakobijyutu | 2008-05-02 21:44