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シュバルのお城

 私の好きな人間の一人に水木しげるがいる。もちろん会ったことは無いけれど、いつか会えそうな気がしている。その彼の本の中にシュバルの話が出てきた。

 フランスの片田舎に住んでいた彼は真面目に働く郵便局員で、毎日郵便を配達していた。ある日、配達の最中につまずいた石を堀起こしてみると、これが非常に面白い形をしていた。以来彼は石集めを始め、その後一生を懸けて集めた石で己の求めるお城を築いた。

 これは面白い。しかもこれは事実である。私はその年フランスへ行く予定にしていたので、早速場所を調べてみた。、、、、、、、、結構遠いい。
 しかし、イリ・サラ・ソルジェの近くでもある。私はもともとここへ行くようにしていたので、気軽な感じで寄り道しようと考えた。ちなみにイリ・サラ・ソルジェと言う街は面白い街で、おそらく人口1万人にも満たないような小さな街だが、骨董屋の数は300を超えるというまずもって地球上でここしかないような面白い街である。
 
 アビニョンからイリ・サラ・ソルジェまではバスがあり、難なく来ることができた。問題はここからだ。シュバルの街へはなんと公共の交通機関が存在していない。私は仕方なく一番近い街まで出ているバスに乗り、そこで一泊休み考えることにした。その街にはもうシュバルの城のビラなんかも有って、これならツアーバスみたいなもんが有ってもいいような気もしたがやっぱり無い。しょうがないので最後の手段であるヒッチハイクにでた。猿岩石もやってんだ、私に出来ないことはない。、、、、、、、、、、、、、辛い。
 車社会と言うべきか、大陸のせいなのか、乗せてはくれるんだけどとんでもないとこで下される。ここで本当に次の車が来るのか?そんな疑問が自然に湧いてくるような場所で下してくれる。計6時間、計5回、人々の優しさに支えられて、私は約50キロの道のりを移動し、シュバルの城へたどり着いた。

 とんでもなド田舎にも関わらず、シュバルのお城の周りだけは、日本の第三セクターも顔負けのきっちりした設備ができており、土産物屋や、ガイド情報、レストランなどが集まっていた。
 私は少し複雑な気持ちになった。シュバルが存命の時、街の人々は彼を病気扱いし笑い物にしていた。しかし笑われても気にせず一人作り続けた彼のお城は、今やこの街の大きな観光収入源へと変貌していたからだ。それにしても速く実物が見たい。

 驚いてしまった。これだけ驚いて建造物を見たのは小学生の時に見た金剛力士像以来かもしれない。本当に素晴らしいの一言である。これは本当に残して、巨大な古美術として守り続けてほしい。今回あえて写真は入れません。見たい方は是非行ってあげてください。シュバルが残してくれた素晴らし作品を目にすることが出来ますよ。

# by harakobijyutu | 2008-05-02 21:44

爆喰china

 興奮冷め有らぬニューヨーク。今回の旅の本当の目的、中国オークションの日がやって来た。場所は変わらずクリスティーズ。

 私たちは朝早くからクリスティーズに入り、昨日と同じオークション会場へ向かった。少々驚いてしまった。そして、早くに会場に入ったことに正解を感じた。
 昨日のようにTV局が来ている、なんてことはなかったのだけど、圧倒的な人の量である。華僑なのか、それとも香港人や台湾人なのか、はたまた大陸本土の中国人なのか見分けは付きにくいが皆、中国語話している。物凄い熱気である。昨日と同じ会場なのに中国に居る、そんな錯覚にさえ陥りそうな雰囲気であった。
 彼ら中国人は基本的にスーツを着ていない。そのかわり高そうな生地のジャケットやマオカラーの服に身を包み、誰もが集団で動いている。いかにも今日は何か買って帰る。そんな印象を受けた。

 今日の流れはこんな感じであった。まずは犀角や玉、といった無茶苦茶に高級なもの。次に家具や軸もの、その後青銅器や金銅佛、それらがすべて終わってから、漢~清朝までの陶磁器へと流れる。その数はザット見ても昨日の倍はある。私が狙っているのは焼きものなのでかなり後の方になることは間違いなかった。

 いざ、開始である。始まる頃には会場は満員で、立ち見までが現れ、それでも席が足らず、隣にリアルタイムで見れるモニターを配した部屋まで設けられた。

 高い、高い、高い。とにかく高い!!始まってすぐに千万単位の値段が動く。彼らと闘って勝てる人は他の国にはいないのか?そんなことを考えてしまうまでに強い。中国人の好きな品が出るとほとんど止まらない。私はもう途中の段階で、自分が欲しいものを半ばあきらめていた。
 案の定、私が狙っていたものは予想の4倍以上の値段がついてしまい、あっさり敗北。しかしまだ次がある!!と、意気込んでみたがこれもズバッと斬られてしまう。しかも相手は親と一緒に来ていた、まだ8歳ぐらいの男の子であった。さすがの私も少し頭にきたが、熱くなってパドルを上げるにはあまりにもリスクの高い値段にビビってしまう。

 これが最後、と決めていたモノが現れた。そのものは意外にもすんなり私の手に落ちた。ホッとした。これで私も来た甲斐があった、というものだ。そう思うとお腹も空いてきた。

 それにしてもこの爆喰、とは良く言ったもので正にその通りであった。ちょうどこの日はサブプライム問題などで、世界的な株安や、記録的な円高を迎えており世界経済が今後どうなるのか?などど、一人横町のおっさんみたいに考えていただけに、やっぱり次は中国なのかも、と思わずにはいられなかった。
 
 帰り道、一緒に来ていた業者の人と話していると彼がこんなことを言った。
「日本がバブルの頃、なんや買い方がえげつないとか言ってたけど、結局アメリカも同じもんでサブプライムとかなんとかでえらい損やな。今日の中国人かて、ちょっと前の日本人みたいなもんで、そうやって考えたらみんなアホやな。まあ、俺も相当あほややけどなぁ。」

 それもそうだな。なんとなく彼の言葉に納得してしまった。
「まあ、僕らはその中で少しでもいいものをいい場所へ納めるより他に手がない出すね。」
 私はそう言うと、少し今日自分が物を買えたことを褒めてやろうと思った。
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写真はクリスティーズの入っているロックフェラーです。

# by harakobijyutu | 2008-04-21 18:06

2008年 3月 18日

 場所はニューヨーク、ロックフェラーセンターーの一角に構えられた世界的オークション会社、クリスティーズ。時間は現地時間で午後1時にせまるころ、件(くだん)の仏像、運慶が現れた。

 私はその日、幸運にも現場に居合わせ、その姿を目撃していた。二日前から下見も行い、この日を迎えている。会場内はかなりの広さがあり、300人は収容出来そうなスペースである。私は競り場を正面に見て、一番後ろの右端に席を取った。そのすぐ左手にはNHK、TBS、フジ、と日本のTV会社が集まっており、会場全体が、運慶の経緯を見守ろうとしていた。

 始まった!!

 競り師の一声がまず、8000万円を告げる。すると最前列、左脇、電話、中央、左後ろ、とあらゆる場所へ、競り師の目が飛び、値段が上がる、あっという間に3億を超え、5億、6億、7億、8億。私や周りの業者が予測していた5億はあっという間にとび越え、8億。

 ここで一旦、会場が凍る。私の真横では少し興奮気味にNHKのリポーターが状況を伝えている。正直少々五月蠅い(うるさい)、、、、、、と、その時!!

 10億!!

 競り師が左側を指差し値段を上げた。会場全体の目がそちらへ向く。白人である。髭を蓄えた背の高い中年紳士、と言ったところか。その男がパドルを挙げて構えていた。が、すぐに競り師の目は私の方を向き、更に値段を上げた。

 後ろ、そう、私が一番後ろに座っているものと思い込んでいたが、その後ろの人が立っていた。その人が飛び込んできたのだ。

 11億2000、11億5000、11億8000、

 値段はまたもや上がり始めた。私の真後ろ、そしてもう一つは電話での参加。

 一騎討ち である!!

 最初おそらく5人はいたであろう、しかし中盤、10億の時点では3人に絞られ、ここ現在に至っては二人。

 12億!!

 もうこうなると後は一体どちらが長く顔を水に漬けていられるか?そんな感じを呈してきた。長い緊張感と興奮が会場を支配した。

 12億5000万!!! カン!! カン!!

 競り師のハンマーが振り落とされ、私の真後ろに手をかざした。
「サンキュー ベリー マッチ!!」競り師の声が送られ、会場全体が一気に喜びと、この戦いに参加した者への敬意と健闘を讃える拍手に変わる。私も拍手をしながら後ろを振り返った。落とした人はちょうど、姿を隠そうと右側にある非常口から出ていくところであった。私は一瞬だけ姿を見ることが出来た。白人の女性、そんな風に目に映った。

 凄いオークションだった。後半のあの緊張感、おそらく自分には耐えられないであろう。それにしても、あの運慶はどうなるのだろうか?日本の手を離れ、海外へと場所を移すのであろうか?

 興奮も冷めぬ内に、私はホテルへ帰り、インターネットを開いてみた。買ったのは三越。その三越自体も注文、とのこと。

 そして昨日、25日。日本に帰って来て見ていたTVで、購入者が明らかになった。買ったのは真如苑、「未来に伝えていく責任がある。」とのことである。

 私は個人的に嬉しくてたまらなくなった。あの仏像が日本を離れずに済んだ、これは本当に素晴らしいことだ。
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 実は私はあのオークションの後、もう一人の業者の人と、クリスティーズの人と3人で夕食をする機会があった。その時クリスティーズの人がこんな言葉を漏らしていた。
「いやー今回は本当に良かったです。私が思うに日本の美術は本当に素晴らしいしレベルが高い。にも関わらず、ここ近年の評価はヒドイもので。でもこの一件で日本美術に対する見識が大きく変わるんじゃないでしょうか?」
彼は嬉しそうに、少し誇らしげにそんなことを話してくれた。
私も同感だ。そして、私自身もこの世界に身を置く以上、少しでも日本美術や美術界全体に対して、貢献できれば、とそんなことを考えた。

# by harakobijyutu | 2008-03-26 09:18

MOMA

 今日は1日フリーなので散歩かたがたMOMAを見学に行った。正式名称はニューヨーク近代美術館であり、その収容作品の殆どが20世紀以降のものである。2004年に谷口吉生の設計で改築された建物は非常にスッキリとした、いかにもモダンといった感じのものであった。
 私は最上階である6階から、1階へ降りる形で展示を見ることにした。6階はもう完全に現代アートで、私はいつもこういうものを観ると、自分がいるところは美術館ではなく、企業が企画した最新機種の展示会のように思えていけない。2004年モデルのドコモから出ていたケータイやパナソニックがおそらく共同開発したと思われる介護用のようなスーツを目の前にするとますますその想いが強まってくる。しかし、鍋島などの焼き物が当時としては超最先端の技術で作られていることを思うと、これらが全然違うものであるとはあながち言えない様にも思える。しかし、作品自体は実におもしろい。
 階を降りて5.4階へ行くとここからは近代、現代作家の平面作品がほとんど展示してある。こうなると美術館にいる気がしてくる私はやっぱり古いのだろうか?ピカソ、マティス、シャガールにキリコなど大作がズラッと並んでいた。私は昔からゴッホが好きなのですが、正直眼が留まったのは、隣にあったルソーの絵だったりした。他にも今回初めて知った作家ではフランク・クラインや、イヴ・クライン、ガストン・ラシェーズなんかが印象に残った。

 それにしても疲れた。面白いけど疲れる。これが美術館というものだ、と改めて思ったりもした。みなさんも是非、ニューヨークへ行くチャンスが有れば、MOMAへ行って見てください。

# by harakobijyutu | 2008-03-13 08:04

ニューヨーク

 それは私がまったく爪の伸びる速度を考えたことがないほどに予想外の展開であった。お世話になっている同業者のお店へお邪魔した際に、ニューヨークへ行かないか?、といきなり誘われたのだ。
 一瞬頭の中でアメリカ横断ウルトラクイズが広がりどうしたものかと戸惑い、少し時間を頂くことにしたが、なにぶんその出発自体がもう、10日ほどしかなかった。1日考え、私は一緒に連れて行って頂くことにした。ここでの大きな問題は英語である。私はさっぱり英語が話せない。中国語なら得意なのだが、、、、、

 ニューヨークで何をするかというと、オークションの参加、それとアートフェアの見学、等々でボリュームは非常に大きい。これはもはや原商店の世界進出である。

 ということで、一体どういうことか分かんないかも知れませんが、とにかく今日3月12日、ニューヨーク初上陸です。ホテルの窓からは竹村健一の巨大な顔の壁画が見えるという、なかなかの場所です。これから2週間ほど、できる限りこまめに更新しますのでどうぞ、よろしく。
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# by harakobijyutu | 2008-03-12 08:17